読了: 約 2 分
年末年始ということもあり、持て余した時間を有効活用しようと書く次第。
最近自分が触れている音楽や人、書籍、諸々を好きな理由や根拠を振り返る事が一つの楽しみだ。
幼少期から触れて来たものの捉え方は、変化しない方が格好いいなんて見栄を張っていた時もあったけれど、
大人になるにつれて確実に変化する。
同じ作品でも誰に感情移入するか変わるという話が顕著な例だと思うのだけれど、
そういう噛み応えのある作品には一定の法則があるように思える。
何度も読み返したくなる作品は、”余白の創り方” が上手い。
上記したように、
色々な角度から自分の人間的な成長に伴ったり、その場の感情によって
受け取り方は違う。
だからあえて答えを出さない、具体的にしすぎないというのは
読者にとって一種の救いであるし、
読解力や人間的な成長を実感できる。
バックグラウンドの異なる多くの人に向けているのだから、
当たり前なのかもしれないが、押し付けるサービス(自己完結)は求められていない。
カジュアルさ、ファストな考え方・モノが溢れてしまうと
想像することを失ってしまう。ライトな喜びや悲しみに染まってしまう。
そういうモノばかりで溢れてしまうと、
何者でもない僕が言うのは大変烏滸がましいけど、なんだか物足りないし
多分またそういう経験を求めてしまうのだと思う。ある種ファストな病だ。
SNSを使ったり、デジタルに親しんでいる大多数の人がそうだと思うし、良い悪いではない。
それが経済を回しているのかもしれないし、実際そうではないだろうかと思う。
余白を創る意味は、想像力を豊かにすることに繋がるし、長期的な意味で人を救う。
情報が氾濫して、”正しいこと” はすぐに分かる様になったのだけれど、
先に答えを求めるのではなく、想像をすることの大切さを感じ、学ぶこと。
今後のデジタル時代にはそういう思考や内包されたモノへの回帰が始まるのではないだろうか。