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最近運営しているメディアの事もあって、多くの音楽に触れる機会がある。
音楽好きな友人とジャンル問わず沢山の音楽を聴き、お互いの意見を交換している間にクリエイター・ビジネス、売れるジャンル、邦楽・洋楽様々な視点から音楽と向き合う時間が多く、それは幸せな日々を送っている。

良い音楽を友人と見つけて、交換する時には、概ねYoutubeのリンクをLINEに貼付けてどうだろう?という形で聞いている。
それに対して何らかの返答を貰ったりするのだが、そこには再生回数が4,5桁の動画も含まれている。
売れる、売れない、モノづくりについて、またはモノづくりをする継続的な環境について考えさせられる。
幾ら自分たちが良いと思う音楽を続けても、ファンが出来て、売れなければ自己満足で終わる。
自己満足で続けるのは全く否定はしてはいない。ただ、ファンが出来るという事実は向き合うべきものなのだ。

友人が『シーンのど真ん中では絶対に紹介されないけど、絶対に一部に深く突き刺さるであろうアーティストっているよね。
王舟、森は生きている、cero、the fin.は去年インディーズでブレイクしたアーティスト4今日な気がする。』
という話をしてくれた。
彼は暇さえあれば、タワレコに通うという習慣があるのだが、彼の邦楽に対する知見の広さにはいつも驚かされる。

一部に深く突き刺さったところで商業的には正しいのか。商業を優先した場合ファンはどうなるのか。
はたまた、商業的にならなかった場合継続していけるのか、それがアーティストとしての美学なのだろうか。
ファンを作るという事自体どういうことなのか、そのアーティストのファンになるというのはどういう心理的な構造なのだろうか。僕はそれのヒントが宗教にあるのではないかと思っている。

宗教を広めるにはマーケティングが必要で、人を巻き込んでいく必要があるから大学の近くに会館を創り、
精神的に少し不安定な人を巻き込んで行くという話を聞いた事がある。

事実、僕も大学生の頃に道を歩いていて、菩薩のような顔をしているからかはたまた死にそうな顔をしているからか
5回は宗教勧誘にあった事があるが、『何時も自分は何にも救いを求めていない、自分だけを信じて生きている』と答える。
そうすると大体唖然とした表情で勧誘してくる人が見ているので、それは面白い。

話が逸れてしまったが、
売れる音楽というのは、宗教のそれと近い物があるのではないだろうか。
僕はそれを昨今のSEKAI NO OWARIに感じている。
何故彼らが、若い中高年を中心として人気を得ているのか。

Tree(通常盤)